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imo-la tabaimo -2007- 収録作品紹介
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このページではDVDの付録として収録した束芋の近作8作品についての概要を紹介。(文・湯山ななえ)
 
 
 
hanabi-ra
hanabi-ra画像

hanabi-ra
2003|Approx. 4’24”


 1面スクリーンで音の無い作品。黒いカラスのような鳥たちが飛び交った先に首の無い男性の後ろ姿が投影される。彼は、色とりどりの菊の刺青を全身にまとっている。その菊の花びらが、ひとつまたひとつと散っていく。一匹の鯉が花の間を泳いでいく。はらはらと次第に勢いを増しながら散る花びら。すべての花が散った後、男性の指が落ちはじめる。手、腕、首に続き、胴体も花びらと同様にひらひらと散る。一匹の蛾が横切る。後に残るのは、葉と枝ばかりである。

撮影場所:キリンプラザ大阪、2003年



ギニョる|Ginyo-ru
ギニョる|Ginyo-ru画像

ギニョる|Ginyo-ru
2005|Approx. 5’45”


 天井から吊られた360度の筒型スクリーンに映像が投影される大型インスタレーション。円筒の中に入りスクリーンに取り囲まれる形、あるいは外からスクリーンを眺める形と様々な角度から鑑賞することができる。
 タイトルは、フランス語で指人形を意味する「ギニョル (guignol)」に由来する。黒い画面にいくつか合体したような白い手が浮かび上がる。まるで生き物であるかの如く形を変えながらうごめく手足。いくつも現れて、時には互いをつかみあいもつれあう。ときおりネオンの明かりのように三原色に色づき、その血管をあらわにする。音を立てて登場した戦車型のミシンが、手の切れ目を縫い合わせる。水泡が現れては消える。画面いっぱいにうごめいていた手が消えた後、水泡から出てきた虫がふらふらと飛び去っていく。
 アトピー性皮膚炎に長年悩まされてきた束芋が、自らの手をモチーフにして紡ぎだした作品。

撮影場所:AroS Aarhus Kunstmuseum(デンマーク)、
2005年



真夜中の海|midnight sea
真夜中の海|midnight sea画像

真夜中の海|midnight sea
2006|Approx. 4’42”


原美術館の吹き抜けの展示室をのぞむ中二階バルコニーを利用した2面スクリーンの作品。
 観客はまず黒いカーテンで仕切られた暗く狭い空間に入り、郵便受けのような覗き穴を通して床に投影された映像を垣間みる。その後、階段を上ってバルコニーから映像全体を見下ろす。カルティエ現代美術財団では、テントの天井にスクリーンが設置され、観客はテントの中に入って傾斜した床に体を横たえて鑑賞する展示形式をとった。
  打ち返す波の音が聞こえてくる中、海中にひそむ内蔵が暗闇にぼんやりと浮かぶあがる。そこにかぶさるように現れ、次第に勢いを増す波。海を人体にみたてた「真夜中の海」では、水面は皮膚であり、波はこれまでの人生の歩みを示す皺である。海中の内蔵や血管の間を、白い髪の毛(=神の気)が魚のようにすり抜けていく。カミノケは、水面にも姿を現し波間を自在に動き回る。
  ストーリーの抽象性に加えて全編モノクロの世界を表現した、束芋の新境地ともいうべき作品。

撮影場所:原美術館、2006年



ギニョラマ|guignorama
ギニョラマ|guignorama画像

ギニョラマ|guignorama
2006|Approx. 3’09”


 原美術館のサンルームの外にある庭に曲面スクリーンを設置し、中から映像を投影するインスタレーション。
 日没後でなければ、投影された映像は見えない。昼間は音と窓枠に、かすかに映る映像から想像するのみである。「ギニョる」と同じ原画を使用しているが、手足以外のモチーフは登場しない。夜に浮かび上がる映像にはガラスの反射も加わって幻想的な雰囲気が漂う。

撮影場所:原美術館、2006年



公衆便女|public comVENience
公衆便女|public comVENience画像 公衆便女|public comVENience
2006|Approx. 6’01”


 3面の大型スクリーンに投影された映像が同時進行する。舞台は女子用の公衆便所。男湯を舞台とした「にっぽんの湯屋」の対となる作品である。
  一人の女性が公衆便所でトイレの水を何度も流している。その便器の中には亀がおり、水の流れに逆らって必死に留まろうとしている。別の個室から下着姿でランドセルを背負った女性が出てきて、洗面台で何かを洗っている。窓から入ってきた蛾の眼はカメラのレンズになっており、次々とシャッターが切られる。携帯電話を便器に落としてしまった女性は、水着姿になり命綱をつけて便器へ飛び込む。洗面台の鏡の中に映る自分から暴力を振るわれた女性は、血の流れる手首にトイレットペーパーを巻きつけ、再び個室へと戻っていく。また別の女性は、苦しそうに個室へと入っていき、鼻から産み落とした赤ん坊を亀の背に乗せて便器に流す。
  公衆便所は、誰にでも開かれた空間でありながら、それぞれの個室は閉ざされ、他人とすれ違っても互いに無関心を装っている。公衆便所にインターネット社会との類似点を見いだして制作された作品。

撮影場所:原美術館、2006年

にっぽんの通勤快速|Japanese Commuter Train
にっぽんの通勤快速|Japanese Commuter Train画像 にっぽんの通勤快速|Japanese Commuter Train
2001|Approx. 8’03”


 通路をはさんで左右に3面ずつ、6面のマルチスクリーンを駆使した映像インスタレーション。
  通路に立つ観客はまるで自分も乗客であるがごとく、車内で起こる出来事に包まれる。2001年の制作時に比べて映像がヴァージョンアップされ、フランスでの展示用にタイトルが全てフランス語に差し替えられている。
  鶏の鳴き声にのせて人々の口から流れ出す言葉の断片が、週刊誌の中吊り広告に収まっていく。子供の首を吊り革に引っかけ、抱いていた赤ん坊は棚に置いて去っていく若い母親。鳴りだした携帯電話からのびる赤い糸に誘われるように窓から飛び出す女性。スポーツ新聞から取り出した野球選手をネタに寿司をにぎる職人。女子高生をネタにした寿司を賞味するサラリーマン。チカンの腕が折りとられて床に積み重なっている。捕まったチカンを閉じ込めた車両も、とかげのしっぽのごとく切り離される。
  ほとんど誰もいなくなった車内を掃除する係員。居眠りをしている乗客は線路の上に取り残される。

撮影場所:カルティエ現代美術財団(パリ)、2006年

お化け屋敷|Haunted House
お化け屋敷|Haunted House画像 お化け屋敷|Haunted House
2003|Approx. 3’58”


 投影された映像が半円を描きながら行ったり来たりする1面のインスタレーション。
  画面は四角い初期バージョンとは異なり円形である。観客は、住宅地の各家庭で展開する出来事を望遠鏡を通して覗き見ているような感覚である。水色とベージュを中心とした明るい色調とポップな音楽が醸し出す軽妙な雰囲気とは裏腹に、部屋の中では、殺人や自殺が淡々と行われている。
  登場人物たち(あるいは彼らの想念)がゴジラのように巨大化し立ち上がってくる後半は、一見平和に見えた日常が一瞬にして崩壊していく怖さを感じさせる。

撮影場所:カルティエ現代美術財団(パリ)、2006年

にっぽんの湯屋(男湯)|Japanese Bathhouse-Gents
にっぽんの湯屋(男湯)|Japanese Bathhouse-Gents画像 にっぽんの湯屋(男湯)|Japanese Bathhouse-Gents
2000|Approx. 7’34”|Aspect 4:3


 銭湯の男湯へ入る実物大の引き戸を開けると、3面の大型スクリーンに映像が映し出されている。
  この3つの映像は同じ空間を描いており、全ての画面が同時進行する。プラスチックの洗面器が床面の所々に置かれ、壁際にもピラミッド型に積まれている。アメリカでの展示用にタイトルは全て英語に差し替えられている。
  脱衣所に入ってきた男子学生は、服だけでなく自分の皮膚も脱いでいく。裸の女性たちが女湯との境の壁を越えて入ってくる。2人の力士は、組み合っているうちに片方が「吸収合併」される。湯船から出てきた女性はボストンバックの中へ入って別の女性に連れられていく。中年の主婦は、ロッカーに赤ん坊を入れて鍵を閉める。湯船に捨てられたゴミの山の中でも、平然と湯につかっている人々。警官は発砲した後に、湯気の中へ消えていく。
  最後に「汚い水」は流される。

撮影場所:ジェームス コーハン ギャラリー(ニューヨーク)、
2005年


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