2011 冬

2011年12月20日 Director chair
Italia

 地震が起こった時、自分には何ができるだろうか誰もが考えたと思う。
 私は今年は差し迫ってベネチアビエンナーレが控えていたので、まずはそれを成功さすことに全力を投じた。そしてベネチアが始まった頃に森村泰昌の岩手県立美術館でのプロジェクトが始まった。非常時における芸術というテーマは大きく重いものだが自分の出来るやるべき事として取り組んだ。しかし撮影が終盤にさしかかった頃、不運にも中断を余儀なくされた。ここで止まったら終わってしまう気がしたので、私は森村の描いた絵コンテに基づき撮影した映像の編集をした。3台のカメラを使って横長の1画面を構成する森村としても初めてのタイプの作品で、カメラの捕らえた岩手の自然や船越保武の作品は想像していた以上に美しく、仮編集の出来た段階でこの作品は必ず発表しなければならないという確信を得た。現在に至ってまだ事の進展は無いが、その日が来るには作品を完全な形に仕上げなければならないので、まだこの先どうなるかは分らないが本編集を丁寧に時間をかけて始めている。完成は2月末を目標にしている。
 そんな事があった今年、岩手へ行って感じたのは、そこでスキーがしてみたいということだった。スキー人口はこの10年で半分、1/3になったとも言われ、あの八方ですらリフトを選べば正月でもリフト待ちはない。私がスキーをしていた頃には考えられない状況だ。このままでは日本のスキー場は次々になくなってしまうのではないかと思えるくらいだ。そんな状況で東北のスキー場は震災を受けた。沿岸部に比べれば被害は少なかったのかも知れないが、確実に今年は東北のスキー場を訪れる人は減ってしまうだろう。そう考えるとそこへ行く事も私のできる事だと思い夏に撮影で行った八幡平の安比高原と学生時代に滑った山形蔵王へ行くことにした。
 岩手のスキー場に関西から行こうとすると新幹線の始発に乗ってもゲレンデに到着する頃にはリフトが終わってしまう。日本も以外と広い。移動日だけにしてしまうのは何となく無駄な気がして、いろいろ考えた結果、寝台特急で岩手へ行く事にした。調べてみるとこの寝台特急「日本海」は来年の3月で廃止になってしまう。ブルートレインで岩手に行ける最後のチャンスに出くわした訳だ。何か銀河鉄道に乗って出かける気分。ネットでは鐵ちゃんが特急日本海について詳しくレポートしてくださっているので、大きな荷物は置場が無いなどの情報も参考にさせて頂いた。間もなくその旅が始まる。

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2011 秋

2011年10月8日 Directors Chair
アルプス

 本来なら私は今日は岩手にいた。しかし京都にいる。
 岩手県美の森村泰昌展が中止になってしまったので、それに向けての制作も停滞し少しは時間の余裕が出来たのかも知れないが、相変わらず休日がなかなか出来ない。もしも、展覧会が開催されていたら過労でまた別のところにいたかも知れないし、ここは良い様に考えよう。
 でもただひとつはっきりとさせておかなければならない事がある。美術表現の著作権とは何かという事だ。ブランドのバッグを偽物として作って、売るほうも買うほうも分って取引したり、海賊版のCDやDVD販売するという明白な著作権侵害とはまた別のものが著作権利侵害として存在するのだろうか。どんな芸術家も様々なものから影響を受け、時にはそれを引用したり、アレンジしたりして自分のものとして行く。ある時は気づかずに、ある時は正面からそれと向き合い作品にする。長い歴史で繰り返されて来た事だ。
 著作権者から侵害だと言われれば、そこに表現の自由はないのだろうか。
 教師に向かって君には私の事を語ってほしくない、とか、批評家に向かって私の事をそのように批評するのはまだ早いなどと、それを遮断する事は誰にも出来ない筈だ。今回の出来事の根本は客観的な判断を仰ぐ場が必要な様に感じている。
 作品には罪は無い。完成させて多くの人の批評を浴びてこそその本質が見えて来る。ならば完成させよう。

 10月5日に想う。MS-DOSの頃にパソコンから一旦は離れたのに、再び使う気にさせたアップルはまだベージュ色のフリーズが多発するものだった。その頃から時代の流れと共に買い替えて、それらを制作に酷使してきた。アップルから出てくる製品には感心させられる事が多かったが、販売方針は最悪だった。遠く広くを見据えた経営者にも欠点はあったのだ。アーティストが亡くなれば、他の誰かがそのアーティストを引き継ぐ事は出来ない。アップルの正念場に我々ユーザーはどう付き合うのか。

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2011 夏

2011年7月8日 Director's Chair

Unkei
写真は杉本さんの新作「空景」・・・ではなく、私が撮った「雲系」です。

 ベネチア滞在から帰ってひと月。昨年の7月にベネチアビエンナーレの日本館代表に束芋が決まってすぐに下見に出かけてから、制作はわずか10ヶ月足らず。その中で精いっぱいのことをしたと思う。今回は施工チームの人材に恵まれて美しい立込みが指定した納期で完成した。今回はもしかすると受賞も十分に可能だと私は考えていた。が、それは審査のために夕方に疲れた表情で現れた審査員たちが5分27秒の作品を全て見ることなく去って行ったところであっけなく終わった。
 審査とはそんなものである。
 振り返って残念に思うことは2年に1度の展覧会なのに作家が決まるのが1年を切っているという事。これは以前より語り継がれている事だが年度行事として事務的な運営だけでは無理が多い。本当の意味でこの芸術の祭典に参加できているかどうかを議論され良い方向へ進む事を願う。それにはやるべき事多岐にわたり構築は短時間に簡単できるものではない。芸術のオリンピックは参加する関係者にもそれを追い求める事を要求されているアスリートたちの大会なのだ。

 さて今年も残り少なくなった。10月から開催の岩手県立美術館での森村泰昌展「人間風景」のための現地制作が今月から始まる。現在編集中のドキュメンタリーMORIMURA Chapter3の編集をお盆までに仕上げ、地場産業「清水焼」の清水焼団地50周年の映像制作、8月には延期されていた杉本文楽が14日から横浜で。帰ってすぐにベネチアのメンテナンスに行って、戻ると翌日に丸亀で杉本展第4幕。そして9月は束芋のニューヨークの個展の設営、2週間で戻って横浜で撮影をしてChapter3の字幕入れとモントリオールのエントリー、10月は森村@岩手。帰って京都である現代美術作家による寺院の撮影。その間、それぞれの制作は平行して続く・・。11月まで休みなしの日々。
 <事前宣告>12月は23日から冬休みをいただきます。(白馬に雪が積もれば。でも今年は安比で滑ってみたい。)

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2011 春2

2011年4月23日 Director's Chair

 昨年は瀬戸内国際芸術祭というのがあったが、今年も瀬戸内沿いの美術館で展覧会が続いている。高嶺@広島、森村@ふくやま、杉本@丸亀。3つを1日で回るのは少し厳しいかもしれないが、どこで泊っても瀬戸内の魚は旨い!!
 ふくやま美術館は昨年、高松で開催されたモリエンナーレが巡回。瀬戸内国際芸術祭の女木島で展示した「動く電気服2010(田中敦子のために)」も一緒にに展示され、今回は金山明さんの作品と同じ部屋でインスタレーションとして展示されている。(写真)今回、この展覧会を撮影して改めて森村流の「まねぶ」について認識した。それは高校時代から始まり大学を経て作家活動を始てからも続いて行く。どれも真剣にまねんでいるところが最初は微笑ましいのだが、そのうち本物とは別の面白さも見え隠れしてくる過程が時間の経過と共に展示されていて興味深い。この展覧会は岩手、北九州、高岡へ巡回予定であったが、震災のために岩手の展覧会は中止になった。何か違った形でできないものだろうかと思う。

















 さて、杉本@丸亀は、第二部の建築。谷口建築の空間に無限大を通り越したフォーカスで撮られた建築の写真作品が美しい。3階へ上がると大階段はそのままにインスタレーションされ、今回の目玉とも言える作品がその裏側にあった。何と「火」が展示されている。和蝋燭が照す8x10のフィルムが壁にその映像を揺らぎながら映し出す。そのフィルムに映されたものも蝋燭の光なのだが、その映像を再び蝋燭の光を使って投影する装置は、様々な事を考えさす。現代では映像は電気が必要だった事、停電になったら蝋燭の光に世話になる事、普通は美術館の展示室では火は厳禁である事などを想いながら、その揺らぐ映像を見ていると頭の中は震災後の今の状況とダブらずにはいられない。この展示を始めたのは震災の起こる5日前。ちょっと恐ろしいインパクトの作品だ。
 和蝋燭は約20分こどに芯を削ったり、2時間ごとに蝋燭の取替えるメンテナンスが必要な上、消火には一層の安全策がとられている様で、展示を続けるのも大変だと思うが是非御覧頂きたい。ベネチア出発まであと20日。

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2011 春

2011年3月21日 Director's Chair

 地震から10日。
 阪神の時、メディアで映し出される情報と現実の差に驚いた。メディアから得られる事はほんの少しだった。今回の災害は阪神と比べてもその規模があまりに大きい。ガソリンも電池も豊富にある関西には、まだまだ伝わって来ていない事の大きさや量がどの程度のものか知る術はない。
 今回の震災も美術界にも少なからず影を落としはじめ、展覧会やイベントの中止や延期が続く。時間をかけて準備してきたものが予想外のことで無くなってしまうことは残念だが、それはまた出来る日も来る。取り返せない悲しみに比べれば何でもないことだ。
 こういう時期には芸術やスポーツは自粛傾向にあるのだが、そればかりでも始らないとも思う。いつかは始めなければならないし、その日に向けてこれまで以上にやり遂げて行く事が仕事としてやっている者の使命だろう。
 やっと完成に近付いた杉本文楽の映像もしばらくは日の目を見ない事になり、しばらく滞在するはずだった横浜ではなく、京都で制作が続くことになった。長く頓挫していた自分の作品や5月のベネチアに向けて精いっぱいやる事が結果的に良かったと思える日を想いつつ。

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2011 冬4

スキーネタばかりで働いていない様に思われるので、ここらで仕事の話。
森村泰昌の個展「なにものかへのレクイエム」が最終地の兵庫で開催中だが、来月は杉本文楽が横浜でありその映像制作もこれから佳境に入る。6月の束芋のベネチアに向けて機材の準備も忙しくなって来た。プロジェクター20台、プレーヤー20台、スピーカー10本となると設定だけでもちょっとした仕事になる。プロジェクターは厳密には色の個体差があって、1スクリーンの中でブレンドする場合、その色味が違うと違和感があるので、あらかじめ似た発色の個体を捜して組み合わせを見つける作業か必要になる。束芋のインスタレーションでは毎回この色合わせをやっている。地味な作業だが、色味を見るのと同時にランブ、フィルターなどのメンテナンス、LANの設定なども行なった。勿論1人では出来ず、今回協賛をいただいているNECビューテクノロジーから2名と私を含めて総勢6名で一日がかり。ベネチアへまた一歩近付いた気がした。

プロジェクターの色合わせ

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2011 冬3

2011年2月11日 Director's Chair

わがこころのアーリーモーニング - 八方尾根ひとり合宿
 今回の合宿の目的は正月に入ったスキースクールの内容をもう少し掘り下げて学ぶために特別講習として不定期に開講されているエキスパート大回りとエキスパート小回りの受講と、週末に開催された営業開始前のリーゼンを滑るアーリーモーニングに参加するためにひと月ぶりに再び白馬へ行った。合宿と言っても合宿のように滑るだけで基本はひとりである。
エキス大とエキス小
 八方尾根スキースクールには常設と呼ばれる予約なしで受講できるコースと特別講習として様々な種目別プログラムが設定されている。今回入ったのはエキスパートショートターンSPと、エキスパートロングターンSP。SAJ1級以上が対象となっており、ヘルメット着用をお勧めしますとwebサイトに出ているので、さぞ飛ばしたりするのだと思っていたが、その逆でカービンターンに本来必要なターン前半のエッジングとずらし方、乗る位置などをプルークなどを使って徹底的にたたき込むというものであった。カービンスキーが普及してから誰もが簡単に曲がれるようになったけれど、その上を目指すにはやっぱり基礎の基礎から正確にやらないとその上には進めないということだ。
 ロングターンでは、板の一番シナルくるぶしへの荷重を谷足の金具を外した状態から踏み込むという動作でプルークで滑ることなどを繰り返し、徹底的に基礎を固めて行く方法で滑りを改善して行く内容だった。ロングターンをしたのは最後の1本程度。でも受講してから乗る位置が少し改善されたか、太ももの負担が減って楽に滑れるようになった。
 ショートターンはターン前半のエッジングに加えて、上半身と下半身の動きの連動や山側の板の先行動作を徹底的に行い、こちらも最終的にショートターンと言えるもので滑ったのは1,2本だったが、角付けをしない、後半にスピード制御をしない滑りを練習した。どちらのコースも「エキスパート」という名前がついているのでいかにも高速カービンターンの練習であるように想像していたが、実際にはそれを実現するための内容だった。講習の日程表に省略名称として「エキス大」「エキス小」と書かれているが、凝縮されたエキスの詰まったものだった。今後、このエキスを噛みしめて滑りたいと思う。エキス大のS指導員、エキス小のA指導員に感謝。

美しすぎたアーリーモーニング
兎平 八方尾根のサービスとしてリフト営業前に会員登録すれば無料(その日のリフト券は必要)で1時間、リーゼンを滑らせていただける企画で、以前から参加したいと思っていた。6時から6時25分が受付なので、宿を5時50分に出る。あたりはまだまっ暗で星も奇麗だ。まっ暗の中スキーを担いで出かけるが、ナイターと違って名木山に続く道は誰も歩いていないし本道に静かである。こんな時間から来る人はいないだろうなと思ってゲレンデが近付くとリフト乗り場に照明が・・・。もう50人は集まっている。
暗いうちからリフトに並ぶ
早速、携帯でバーコードをかざして受付を済まし列に並ぶ。いわゆる「スキー○○」の集まりである。6時25分で受付が終了になると暗いうちから滑ってきたパトロールのお姉さんからコース状況の説明と注意があって、6時半丁度にリフトが始動。いよいよである。土曜日の参加者は約150人。名木山トリプルは全員が降りたところで停止して、あとは参加者が好きなだけリーゼンクワッドを使って滑る。

マイ・リーゼン先頭はスクールの指導員がペースメーカーとして滑り、抜かすことは禁止。最初は一斉に滑り出したので少し混み合った感じだったが次第にばらけて、7時過ぎになると1枚のバーンに2,3人程度で、時にはマイコース状態。奇麗に圧雪された平面のコースは足への負担も少なく、ほとんどの人がノンストップで滑り降りる。私も結構飛ばしていたが、高速道路でポルシェに抜かれるような感じで滑降して行く人もいた。自分はこけないまでもヘルメットは必須である。2本目くらいで日の出を見ながらカッ飛ぶ事になって、思わず声が上がるほど感動的なゲレンデだった。その美しさと、この贅沢な環境を作り出してくださる、圧雪の裏方さん、索道関係者、パトロール、スクール、事務局の人の努力の美しさは忘れることはないだろう。土日共に最高だった。ああ、また来年も参加してみたい。

ひとり合宿はほんとの合宿に
 私の泊った宿は今回で3回目。「あたらしや旅館」という名木山ゲレンデから歩いて5分程のところにある老舗で日本の民宿発症の地でもある。最初は知人に教えてもらい、温泉もあることで決めたのだが3回目にして初めてこの宿が八方尾根スキースクールと深い関係にあることを知った。あたらしやのwebページにもその事は書かれてないので、あまりオープンにされていないのかも知れないが、ちょっともったいない様な気がする。実は正月にスクールに入った時にたまたま担当だったMJ指導員は、この旅館の息子さんだったのだ。常連のお客さんに聞くと父上の若旦那は一昨年までスクールの副校長をされていた。初日にスクールから帰ると「今日は担当誰でした?」と若旦那に聴かれて、名前をよくご存知だったので何かヘンだなぁと思っていたが・・。
 昔、この宿で居候をしていたAさんが私の様に1人で来ていたので、次の日から空いた時間は一緒に滑る事になり、その次の日にはその友人のKさんやあたらしやのスタッフのR子さん、1人で来ていたYさんたちと合流して、5、6人で滑ったりした。年齢層は低くないが基本的にみんなうまいし熱心なので、急に練習は合宿状態となり充実した時間を送った。

30年ぶりに恩師と滑る
 最終日は中学の時の担任のY先生が長野に移住されて以前から、八方でスキーの時は声をかけろと言われていたのでゲレンデで待ち合わせをした。その先生、私の中学時代既に1級を持たれていて、当時準指を目指されていたが、随分前に指導員も取られたらしい。あいにくその日は雲が降りて視界が良くなかったが、滑りやすいところを捜して上へ行ったり下へ行ったりして、それなりに楽しんだ。
 当時、Y先生は平日もスキーに行くから授業を他の日に振り替えてもらっていたが、今の中学ではそんなことをすると問題になるかもしれない。でも生徒から見れば好きな事を真剣にやっている姿はそれだけで魅力的なのだが、時代は変わってしまった。
 午後に入ってもしかしたらと思って、黒菱を目指したら2時から3時の間だけ日が差してきた。不思議な事に兎平も黒菱から下も雲の中だったらしい。ラッキーとはこの事で、平日で空いている上にさらに空いており、黒菱のクワッドがマイリフト状態であった。先生はもうすぐ64才になられるそうだが、リフトから降りたらすぐにノンストップで滑ったり、暴走と言いながらしっかり滑られてまだまだ現役だった。私もまだ15年はがっちり滑れるのではないかと確信が得られた。
 先生は蕎麦打ちの会があると3時半ころに帰られたので、私は兎平のFor Tuneでカントを見てもらうことにした。やっぱり少しだけズレがあったので直してもらうことにした。15分ほどで出来て再度サーモグラフで確認して微調整をしてもらい完成。膝を前に曲げると真っすぐと前に出せるので、これでフラットに荷重できる様になったと思う。今までだと前傾するとエッジングしてしまっていたことになる。直してもらってからリフト終了まであまり時間がなかったのでその効果はこれから検証したい。ゲレンデが空いていることと、一緒に滑った人たちのおかげて充実した4日間だった。

<ムービーは、はじめてのヘルメットカメラ。ゴーグルバンドに取付けたためにブレブレ。>
ヘルメットカメラ ゴーグルバンドに着用のためにブレぶれ

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2011 冬2

2011年1月29日 Director's Chair

 先週に続いてスキーネタ。国境スキー場に練習に出かけた。既に練習モードである。正確にはこのスキー場の名前は「国境高原スノーパーク」であるが、昔を知る人は国境スキー場である。その昔は国道の東側にもゲレンデがあって、今もそのリフトの鉄塔などが残っているが、今は西側の大谷と乗鞍というコースがある。京都からは2時間くらいかかるが、国道161号からすぐという立地は雪国に来た感じがある。駐車場がゲレンデに隣接していて子供の遊び場も広いので家族連れに人気がある。
駐車場からゲレンデが近い
わざわざここまで足を伸ばさなくても、先週行ったびわ湖バレイ、箱館山でもいいのだが、大谷の第一コースの雪が良い時には、割と幅のあるこのコースは練習には最適。600m程度のゲレンデだが、大回り小回りを混ぜて滑るには丁度良いし、片斜面でないのでびわ湖バレイより練習になる。ただ標高が低いので雪の無い時が多いので行く機会が無かったのだが、何年か前にびわ湖バレイが停電で、その客が全て箱館山に押し寄せ、駐車場から車があふれて国道まで行列が出来ていたので「国境」へ行って下さいと言われて、しぶしぶ行ったのがきっかけだったが、以外と良かったのだ。大谷のコースも良いし、食事も石焼きビビンバや山芋のフライドポテトなどなかなか他には無いメニューがある。ま、それはどちらでもいいのだが駐車場から徒歩1分なので、休憩は車で昼寝も出来る。

 9時に到着したが、一番上の駐車場はほぼ満車。ラッキーにも割と上の方に駐車できた。午前中はほとんどリフト待ちなし。午後は2時半くらいがピークだったが、それでも4,5分の待時間だった。例によってひたすら滑り込んだので、今は船酔いしたような左右に揺れた感覚になってしまっているが、そのくらいコンディションは良かった。今日は黒のフェイスマスクで目しか見えてない。これで見かけは30代?本人の気分は20代。ゲレンデマジックというのは恐ろしい。

この日もリフト終了の16時45分まで滑って帰路に。スキーを縫いで車に積んですぐに出られるので、何か忘れてきたように感じるが忘れ物はない。19時15分帰宅。

来週は代休を使って八方尾根スキースクールひとり合宿。


(このblogのページのコメント欄はながらくエラーが返っていましたが、正常に動作するようになりました)

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2011 冬

2011年1月24日 Director's Chair

 森村泰昌「なにものかへのレクイエム」の巡回が最終地の兵庫県立美術館でオープンした。4館目の展示は最後を飾るに相応しく広い空間でそれぞれの作品をじっくりと見られる展示になっている。(写真)
森村泰昌 兵庫
 束芋のベネチアで発表する作品のテクニカルテストも無事に終え、当初のプランが現実的なものになって来た。美術ネタはここまで。

 さて、今年は日本にスキーが伝わって100年目ということで、低迷するスキー人口を少しでも盛上げようと各地でイベントが開かれている様だ。関西のスキー場も全盛期の活況を知る人には信じられないくらい空いている。23日の日曜日にびわ湖バレイに行ってきたので「スキーおこし」のためにレポートしたい。びわ湖バレイは京都市内からは湖西道路を使うと50分程度で行ける手軽さから人気があるが、以前はゴンドラに並ぶ長い行列があったりスノーボードが多く少し落ち着かない雰囲気があまり好きではなかったのでしばらく行っていなかったのだが、今年は降雪があって何年かぶりで全面滑走になったとのことで出かけてみた。
 6時20分に起きて7時20分出発。8時10分くらいに到着するが、既に駐車場はP10だった。上の方から段々畑のように駐車場が並んでいるので上から10段目ということだと思う。下の方からだと昔は歩いて上がっていたけれど、今はP9より下はシャトルバスが利用できる。ちょうど来たマイクロバスに乗ってゴンドラ山麓駅へ。8時20分くらいに到着したが既にチケット売り場に列ができていた。
チケット売り場の列ここでチケットを買うために約20分並ぶ。これじゃゴンドラも待つのかなと思っていたら、121人乗りのゴンドラには5分ほど待って次に来たのにすぐに乗れた。チケット販売がもう少しスムーズに行けば20分は短縮できるので、事前にネットなどで購入出来ればと思う。白馬でも毎日リフト券売り場は混雑していた。

 新型のゴンドラで山頂までは5分。8時50分にはスキーを履いてゲレンデの上にいた。この日の午前中は、蓬莱山の上を中心にガスっていて、風邪が強く寒かった。寒風直撃の寒さは白馬より寒い感じだが、空いている間に滑ろうとまず蓬莱を5本くらい滑って9時20分くらいから空き出したチャンピオンコースへ。このスキー場のコースは本当にコースで、通路のような感じである。スノーボーダーが多いので、その左右に大きく行ったり来たりしている中を抜いて滑るしかないので右往左往している挙動不審の滑りをしているボーダーには注意しないとならない。バンクも無いのに急に端の方へ行き過ぎて来るので、端から抜こうとするとかえって危険である。スキーは後ろから滑るものに全ての責任があるのでいくら意味不明な動きをされても、ぶつかれば後から来た者の責任なので注意が必要。
カツカレー大
 何本か滑ったところでコースが混んで来たので、再び蓬莱へ。でもまだガスが晴れないし風もきつい。蓬莱は600mのゲレンデなので大回りで左右3回転すれば終わってしまいそうな長さなのだが、一応クワッドの高速リフトが着いているので数が滑れる。リフト乗り場もシングルレーンがあるので、1人で数合わせに乗る人は混雑時もそのレーンから乗れる。この日のリフト待ちは1,2分程度で、ほとんどリフト待ちという時間はなく、バックルを緩めていたらほとんど待ち無しで乗れていた。
10時半になったのでレストハウスへ。どこのスキー場も昼飯で混むのは11時からで10時35分くらいに入れば並ばないで昼飯となる。これを逃すと14時くらいまでは行列ができる。
蓬莱の下の所でカツカレー大の黄と黒(3色で組み合わせも選べる)を注文してランチタイムになった。このカレーはむかしを知っている私には結構頑張っていると思えた。50分くらい休憩するとかなり混んで来て席を探す人が増えたので11時20分には再びゲレンデへ。

 昼になると少しリフトも空く。このリフト、以前はここでも電子チケットでゲートにそのチケットを認識させる方式だったが、現在はなんと懐かしの人が確認する方式に戻っていた。リフト待ちするレーンの先端の所に交代でお兄さんやおばさんがチケットを監視していた。吹雪の中ご苦労様だけど機械があるより感じはいい。リフト券の電子システムを新しくするよりも人海戦術になったのは、それだけ利用する人が減ったということだと思うが、不正使用の対策なども兼ねているのかもしれないが真相は不明。
ヘルメットデビュー
この日は先日白馬で必要だと思ったヘルメットデビューの日でもあった。昔だと競技でもないのにゲレンデでヘルメットは仮装のような感じもあったが、今はスキーもボーダーもヘルメットの人が結構いる。この日はフェイスマスクを忘れて、普通の使い捨てのマスクをした。無いより全然暖かいし息もしやすいので悪くなかったが、ゲレンデでこの手のマスクをしている人は他に見かけなかった。かなり変ったファッションだったかも知れない。
 少し滑り出して気づいたが、ヘルメットを付けると飛ばしてしまうのである。普段もあまりゆっくりは滑らないけれど、ここまで大回りしなくてもええやろというくらいカービンで切って行くのが楽しい。でもゲレンデが混むと危険なので、ほかの人からあの人危険!と思われないくらいのスピードと、スピード出してはいるけど大丈夫そう・・という安心感を与えつつ飛ばすのがゲレンデでのマナーである。
 14時半くらいまで蓬莱を中心に、一応全てのコースを回って滑った。他のコースはどこも狭いので結局蓬莱に戻る。休憩はレストハウスでココアにした。12時から滑りだしてもう結構疲れたという小学生と同席になったが、おじさんは朝から滑ってるけどまだまだ疲れてないよと内心思っていた。
 その後ガスも晴れて、チャンピオンコースが15場半でクローズになるのでその上部の短いリフトを中心に滑ったが片斜面で短いので小回りでもあっという間で何か物足りない。下まで降りてしまうとリフト待ちも少し長く5分くらい待つ時もあった。15場半のクローズぎりぎりの時は人も減るので狙い目だったが、相変らずボーダーが右往左往しておりゲームの様で滑りにくかった。
夕方には空いてきた 日没が迫り16時になるとぼちぼち空いてくる。日曜日の蓬莱のリフト最終はなんと17時45分だ。最後の方はナイターになる。これもサービスの一環だと思うが、普通はだいたい日没の17時にはリフトは止る。ただ暗くなるとともにかなり寒くなったのと、ゴンドラが混むといやなので17時半に終了して山頂駅に向かった。
プチナイター ゴンドラは待つことを覚悟で並んだがあっさりと次に来たものに最後の方だったが乗ることが出来てすぐに山麓へ。数年前に来た時は4人乗りのゴンドラで7時頃まで並んだし、昔のカーレーターの時はさらに並んだと思う。カーレーターなんて誰も知らんと思うが・・。
 麓ではまたマイクロバスが待っていてくれて駐車場へ。帰りは途中越えで京都へ。時間的には湖西道路と変らないが、大原でドレッシングを購入して、18時50分帰宅。やっぱり近いし、ボーダーは多いものの、スキー場のスタッフは頑張っている感じで以前よりフレンドリーだったような気がした。他の近場のスキー場よりも高速リフトを使えば数はこなせる。ゴンドラ分だけ高く感じるが、プチナイター付きでヘトヘトまで滑る体育会系の自主トレにはなかなか良いのではないかと思う。これを読んで行く気になってしまったら幸いである。

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2011 正月

2011年1月6日 Director's Chair
 あけましておめでとうございます。
 昔とった杵柄とは恐ろしい。(今回は現代美術ネタは一切なし。八方尾根スキースクール上級班体験記)
 この正月、30年ぶりにスキースクールに入った。その昔、カービンスキー以前の技術では前傾して谷エッジの拇指球に荷重ということをたたき込まれた。上半身もしっかり谷側を向くというものだ。でも今では全然違っていたのだ。時代はカービンスキーが浸透してゲレンデでは先の尖ったスマートな板はあまり見かけなくなり、カービンスキーに対する技術も熟成してきたと思われる。私は数年前にカービンスキーを履いてから完全な自己流でやって来たのだが滑りに頭打ちを感じて、ここらで飛躍(体力的には?)をしたく名門、八方尾根スキースクールの門を叩いた。
 前回白馬に来た時、黒菱でスクールの上級と思われるグループがいて、その先生の滑りを見て一度あの後ろを滑ってみたいと密かに考えていたのだ。とにかくあの高速な円弧の連続に体育会の血が騒いでしまったのだった。
30年ぶりのOGASAKA

 私の入ったのは兎平校。他にも本拠地の名木山と咲花があるが、兎平の方がより上部のゲレンデを使うことが多いのと、集合が兎平なので前後にも適当に滑るには良い。常設のスクールは10時からで9時〜9時50分が受付。自己申告で上級を選んで代金を払う。1日(午前、午後)で4000円は昔とあまり変っていないくらい安いんじゃないか。しかもカードで支払もできる。10時の集合でレストハウス前に集合して班分けがあった。クラウンやテクニカル(1級より上)を持っている人が4人いて、そのグループが最上位でその次が1級を持っている人ということだったが、その層が誰もいなくて私はそのクラウンの人たちと一緒の班になった。私は中3の春に1級をとったが、既に大昔の領域なので黙っていた。教師はMJさん。大晦日のカウントダウンでは太鼓を叩いていたらしい。早速パノラマに移動してすぐにレッスンが始った。私ともう1人のおっちゃん以外は先生も含めて全員ヘルメット着用で気合い十分である。時代は変わったのだ。私の学生時代はダウンヒル以外はノーヘルでOKだったし、しかもスキー用というとカレラの白に朱文字のヘルメットしか売ってなかったと記憶する。午前中は大回りの練習。とりあえずレベルチェックのために滑らされる。当然みんなうまいし今流の滑りである。今回の生徒5名はおっちゃんばっかり(お兄さんもいたかも知れないがみんなヘルメットにゴーグル、フェイスガードなので年齢不詳)で気楽な感じだったが、自分の滑る順番になる前は、少しドキドキする久々の体験。最初のコメントで早速、乗る位置か前過ぎる事、スキーの間隔が狭過ぎる(くっつけ過ぎなので、肩幅くらいに開く)こと、抜重しないことなどを指摘される。「かかと」に乗るという事を言われやってみると確かにスキーコントロールしやすい。私のこの日使っていた板は170cmのGS用のサイドカーブの少ないものだった(30年ぶりの小賀坂)ので、しっかりと乗らないと奇麗な弧にならない。他の人もターンの前半からのエッジングがいまいちだったので、基本動作の確認に緩斜面でエッジングのメリハリのような動作を練習する。谷側になるスキーにターン前半からぐいっと乗って行く感覚をつかむ練習。身体の傾きや重心の位置をセンターにもって行くことなどを確認する。ある程度感覚を得たところで、スピードを出して大回りをする。右足外足でエッジングが遅れるね・・とMJ先生の鋭い指摘。私は3年前に足首を登山で骨折してから右足のブーツの上2つのバックルを弱めにしていたので、しっかりとエッジングはできず、ごまかして滑っていたのだ。多分客観的に見ると円弧が左右で違っていたと思う。ただ注意してしっかりとエッジを切るようにしたらそれほど負担にならずに回せることが分った。ある程度調子の出てきたところで、パノラマのポールバーンのさらに右側のあまり一般の人が滑っていない所へ移動。そこで大回りの練習。前に乗り過ぎず、ターン前半のエッジングを心がけるが、本来カービンターンでずらさずに繋いで行くとどんどんスピードが出るので、運動不足で脚体力のない私は若干内に倒れて早めの切替をしてコントロールはしているものの、やっぱりヘルメットがいるかなと思った。午前中は大回りの練習が続いたが、たまにトレン(みんなが順に繋がって滑る)で滑る事があってたまたま私が一番下側にいた事が多く、念願の後について滑ることが出来た。(先生の後に付きたかった人、すみませんでした。)スキーの上達法としてこの後に付いて滑って真似るというのは、コース取りも含めてなかなか良い。あの八方のインストラクター独特のカービンスタイルの後ろをついて飛ばすのはなかなか楽しめた。これは久々の感覚。
 午後は1時半に集合して小回りの練習。170cmのGSの板はほかに持っているサイドカーブのきつい155cmの板に比べて明らかに小回りが難しい。でもまあこの板でくるくる回れたらサイドカーブのきつい板では何もしなくても回ってくれそうなので、習いたてのかかとへの荷重と上体をかぶせない滑りでやってみたところ、昨日まで回らなかった板がウソのように円弧を描いてくれた。確かにかかとに乗ると切替が楽なのだが昔はこんなのは後傾になっていると言われたし、スピードが出たら遅れるんじゃないかという不安が頭を過り、どうしても前へ前へと乗ってしまうことを指摘された。(これは昔は褒められた滑りなんだけどね。)MJ先生に言わすと私の滑りはヨーロピアンスタイルらしい。これは褒め言葉ではなさそうだ。
 その後、総合滑降的な大小を混ぜた滑りなどを練習して、最後は少しだけコブの練習。ライン1本しか無いね・・と言われながら滑った所はやっぱ私の脚力とGSの板ではきつかった。その前の日に黒菱のペアリフトが動いたので、リフト寄りのコブに短い板でチャレンジしたが、4回くらい休憩しないと降りられない体力にがっくし。おまけに最後は飛ばされて何年かぶりの転倒。学生時代は止らずに下まで滑っていたんだけどなぁ。(くどいが30年前の話である。黒菱のまん中に、こんなに木が生えてなかった時代の話。)コブの斜面の技術はカービン云々というよりも昔のウェーデルンの要素が高いような気がする。特に起伏の激しいコブの技術は別物という感じがするし、スキーもあまり間隔が開いていては溝を通るラインの高さが違ってうまくコントロール出来ない。また練習してみたいが、太ももの疲れている時には強いてやりたいとは思わないし・・。やっぱり不整地でもコブを無視して飛ばせるくらいのところが運動不足の私には理想的。
 最後はトレンで下まで滑って、ゴンドラ内で講評と質疑応答をしてスクールは解散となった。一緒になった4人の人はみんなうまかったし、たった4時間のレッスンだったが30年ぶりの私にとっては大きな収穫があった。MJ先生もその日は楽しかったらしいが、私は収穫だらけで嬉しかった。
 今年は日本にスキーが伝わって100年の記念すべき年らしいがスキー人口は減り続けているらしい。八方でも廃止してしまったリフトがあって、正月でさえ、リフトを選べば待ちは無しという昔から考えると信じられない状況が続く。若者よこんなに素晴らしいスポーツをしないであなたは一生を終わらすのか。
 私はあと15年は続けて行けるくらいの体力を維持したいと改めて思った2011年正月だった。昔とった杵柄の技術は、時代と共に遺産的なものになってしまったが新たにチャレンジすべき事を見つけてしまった今、早速スキージャーナルを買ってみた。よくまあ永いこと発行し続けていてくれたものだと思うが、こちらもDVD付きで980円と昔に比べて安い雑誌になったような気がする。レルヒ少佐がオーストリアからスキーを伝えて100年の記事に加えて歴代のスキージャーナル誌の表紙が掲載されていてとても懐かしく読み始めた。

30年前のOGASAKAで滑る私

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2010-11 冬

2010年12月29日 Director's Chair

 夏は暑く、冬は寒いというのが昔はもっと当たり前だった様な気がするが、先週からそれを思い出させる寒さが続く。でも最近京都は雪が降らなくなった。近くにあったスキー場も少しずつ減ってゆく。単に場所がなくなるだけでなく、何かもっと大きなものが無くなっている様な気がするこの頃だ。
 10月は広島で森村展が始まったが、その会場を使って新作撮影を11月にすることになって、丸亀の杉本展のオープンの後再び広島へ。平和大通りのイルミネーションの展示が丁度始った頃だ。演出的には申し分のない雨の中の撮影と展示室内の撮影を無事に終え、12月のBankArtの大野一雄フェスティバルのパフォーマンスに間に合わす。丁度、杉本文楽で使うスクリーンの試写テストを神奈川芸術劇場で行なったりしたためにしばし横浜に滞在。合間を縫ってヴェネチアのプロジェクター用のフレームの試作などに追われていたが遠い昔に思える。12月はもう少し腰を落ち着けて森村Chapter3の編集ができるかと思ったが、今日に至ってしまった。素材の整理はしたがメイキングなど膨大な量だ。
 新年は森村展@兵庫を前に、杉本文楽の仕込みや、束芋@ヴェネチアのスクリーンテストなどがある。昨年は29日の夕方からインフルエンザになって最悪のスータトだったが、今年はそのリベンジで今夜から白馬へ移動。行ったら行ったでハードに滑ってしまうのでなかなか休暇とはならない・・。どうぞ良いお年を。

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2010 秋

2010年10月5日 Director's Chair

 暑かった夏も終わってようやく秋。

 8月に入っても束芋のドキュメンタリー「芋蟲」を仕上げるため結局夏休みなしで過ごしてしまった。本来であれば国立国際の大阪展に間に合わせるはずが、結局まったく遅れて、会場で販売してもらったのも最後の3日間だけになってしまった。

 今年は束芋展と森村展の国内巡回があってそれに伴う作品制作もあるので、自作をそれと平行してやって行くのはなかなか難しい。ドキュメンタリーの制作は私自身も展示会場で設営の仕事をしているために当事者あり、その内容を客観的に記録するのはなかなか困難だ。横浜美術館の束芋展ではカメラを青木兼治くんにお願いして設営の日程の半分以上を美術館で過ごしてもらった。そのために今回あの展示の立込みなどのメイキングが多めに収録出来ている。作家の資料としてもメイキングは重要で今後の展示の指針にもなり、特に海外出展示する時にその工程を伝えるためには映像は欠かせない。

 さてドキュメンタリーとしての出来はどうだろうか。内部に居ないと分らない事や撮れないことも多いのだが、その反面慣れによって見過ごしてしまうことも少なくない。作家の作品制作の中へ片足が入っているので、それを独自の視点とするしかないのだが・・。

 また8月は杉本文楽で使う映像の撮影が大阪の国立文楽劇場であった。杉本文楽とは「来年の3月に神奈川芸術劇場で杉本博司が、日本の伝統芸能のひとつである人形浄瑠璃文楽の中から近松門左衛門の代表作『曾根崎心中』を選び、構成、演出、舞台美術映像を手掛ける」というもので、大きな箱で小さな人形をどう見せるかが大きな鍵になっている。私はその映像制作の担当。こちらが公式レポート。

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 写真は、撮影後のプレスインタビューの一コマ。(杉本さんのギャグに苦笑されているように見える桐竹勘十郎さん。)

 9月に入って金沢のフィッシュリ&ヴァイスの映像展示のサポート。多種多様の作品が展示されているが60年代に作られた「事の次第」のメイキング映像がいい。その「事の成り立ち」と題された映像では、大人が真剣にタイヤを何度も転がしては微調整するのだが完全に楽しんでやっているところがいい。あれから40年、彼らはまだまだ楽しんで作品を作っている様に感じた。

 また8月末にサーバーを新しくした。OSXserverを最新のversionの10.6にした。10.5からは移行ツールで更新したが10.4からの移行で手間取ったことを考えると拍子抜けするくらいすんなり出来た。マシンも新しくなってファイルサーバーやiCalサーバーが軽くなった。このページも軽くなったのではないだろうか。このブログページもOSXserverの付録をそのまま使っている。AppleはiPhoneに忙しくてなかなか業務用途の映像制作ソフトを最近バージョンアップしてくれないのだが、iPhoneコンテンツの増殖には驚く。美術界でもMoMA の有料カタログや、無料で展覧会の音声案内を始めている。Podcastでは作家インタビューのコンテンツ。それらは無料でも以外と質が高く、ビジュアルコミュニケーションとしてこれから美術館が行なうべき仕事の一つになりそうな勢いだ。

 8月から来年のベネチアの日本館の展示に向けての機材関係の試作も始めた。現在の束芋の計画では日本館の高床式の縁の下(ピロティーと呼ばれる部分)でもプロジェクターで投影するため屋外対策が必要だ。ひとつは夏の虫、もうひとつは盗難対策だ。虫対策は金網やガラスを使って何とかなるが、盗難の防止はなかなか難しい。いろいろと調べると日本では盗難対策のビスや金具が数多く作られていて、どの会社の製品もオリジナリティーがある。それらはあまり大きな会社ではなく、社長さん自ら考えて作り出しているような、かつて日本にたくさんあった頼もしい製造業だ。

 屋外にプロジェクターを設置するとなるとデリケートな機材だけに手荒なことをされると盗難に至らなくても壊れてしまうかも知れない。これは盗んでも仕方ないと思わせる方法も考えないといけない。良い知恵をお持ちの方は是非ご教授いただきたい。こういう思案を撮りに来てくれる取材が本来のドキュメンタリーなのだと思うが、分っていても自分でも撮れない。

 今月は森村展が広島現代美術館に。23日のオープニング前にはスクリーンをバックにピアノ演奏のパフォーマンスを予定。

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2010 夏

2010年8月8日 Director's Chair
 暑中お見舞い申し上げます。
 5月は高松で森村さんが田中敦子さんの電気服を着るという撮影に始まり、後半はロンドン。束芋のパラソル・ユニットの展示設営。ギャラリー2階のレジデンスに泊まり込み、後半はホクストン・アーバン・ロッジというちょっとスカしたホテルに滞在。Art21の取材も行なう。6月前半は夏の展覧会の仕込み。後半は豊田市美の森村展の設置。
toyota_dic.JPG
写真はこの展示でメインとなった独裁者をテーマにした作品。豊田市美の一番広い部屋の吹き抜けの天井に暗幕でフタをして、1辺11mのスクリーンを2台でシンクロ再生。多分、日本ではこれ以上のサイズの展示は無理なのではないかというくらいの迫力。音もなかなか大きく響き渡る。他の作品もスケールアップ、あるいは余裕を持たせて展示したので、森村さんの作家人生でも上位を競う良い展示になったのではないかと思う。私も嬉しくなって、これが良くなかった。連夜の深夜からの暴飲暴食がたたり、京都に戻って、束芋の国立国際の設営の初日、「虫垂炎」(盲腸)(Appendicitis)になってしまった。
 予期せぬ出来事とは、こうしたものかも知れないが、前日からどうもお腹が張った感じで、朝起きるとどうも右下の腹部が痛い。とりあえず午前中を休むことにして病院へ行ったら、典型的な盲腸と診断された。最初エコーを撮りながら観てくださった先生は、こりゃ手術やなぁーと切ない発言。ああこれで国立国際始まって以来の開催日の延期かと思った。盲腸の診断は最終的に血液検査などを経て外科で判断される。もう半ば諦めかけて最後に診断してくだっさった先生曰く、手術せんでも良さそうやで。と神の言葉。「どんな仕事してはんの。」と話すうちに、その先生の娘さんが京都芸大に通っておられることもわかり、そりゃ休めへんなぁ。というご理解をいただき、3日間点滴と飲み薬で治療して、午後は仕事しても良いということで、F1のピットインのように過ごした。
 言い渡された食事の内容も守り、何とか10日後の束芋のオープニングは無事に迎えられることになった。しかし、さらにオープニングが近付いた頃、1つのニュースが舞い込んだ。束芋がベニスビエンナーレの日本代表になったのだ。オープニングの翌週には兵庫の常設展の設置、その翌々日には高松沖の女木島で森村作品の設置で3日間を過ごす。その頃には高松で美味しいお魚をいただけるまでに回復していた。その翌々日は金沢で秋の展覧会、ペーター・フィッシュリとダヴィッド・ヴァイスのプロジェクションテスト。そして、その翌々日から少し休める筈だったのにベネチアに下見に旅立ち、2日間で日本館を細部まで計測した。そして8月を迎える頃、「過労」とはこんな感じなのかということを体験しながら、やはり病院へ。夜中に咳が止らない症状が続いた。ここ5年くらい風邪らしい風邪は今年の正月のインフルエンザくらいだったのだが・・・。何とかこちらも薬で治し、東京で協賛先のNECビューテクノロジーで打合せと取材、そして束芋のギャラリー小柳のオープニング。翌日、横浜に新しく出きる神奈川芸術劇場の下見。そう、ここを使って杉本さんが来春、文楽を上演。私はその映像の担当。そして明日から撮影が始まる・・という今日この頃。また明日から怒濤の日々。考えれば昨年9月から山へも行っていないし、8月に入っても夏休みは見えてこない。

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2010 春

2010年5月1日 Director's Chair
 前回、書いた1月27日はフィアデルフィアでホームパーティーの後だったので多少文面が酔っぱらっている。それからもう3ヶ月も経ってしまった。その後ワシントンに移動して森村作品「戦場の頂上の旗」の冒頭のあの雪のシーンを撮影、ニューヨークで久々にMoMAに行ったら田中敦子さんの作品に遭遇。ドキュメンタリーの中でこの作品をMoMAが購入してくれた時の事を田中さん自身が語っている。私は写真でしか見た事が無かったので、今回どの展覧会よりもこの一枚に出会えたことが良かった。

 京都に戻って編集して、翌週の写真美術館の試写会に間に合わせた。3月に入って束芋展の撤収、森村展@写真美術館の設置があった。船便で出すロンドン向けの機材を何とか仕込んで、3月末から4月にかけてシンガポールのSTPIで束芋の取材でお世話になり、桜咲く京都でウディチコの奨めでマイ・フェイバリット展の撮影、その後今年2度目のニューヨークで束芋の作品設置とART21と打合せなど。連休前には車で豊田で打合せに行って、4月も終わった。
 今年はよく使っていたノースウエストがデルタになってしまっのでどうしようかと思っていた頃にたまたま乗ることになったコンチネンタルとの接続便がJALだったことがきっかけでそれからなるべくJALを利用することにした。破綻した直後だったけれど地上も機上の人も良く頑張っているなぁと感心したのだ。やっぱりいろいろな意味で再建を果たしてほしい。安全とサービスを他国にない品質で追求できればきっと日本人は日本の航空会社の2社を選ぶと思う。
 安定した品質を手ごろな価格でというとグランドセントラルのオイスターバーだ。いつ行っても裏切られる事なく来て良かったと感じる。
groundcentral.jpg
外国でも生牡蠣の味はレモンだけで食べるのであれば日本のものとそれほど大きな差がないし当たり外れが少ない。貝に当たる当たらないの、安全と非安全というのもその場の人たちの仕事に対するクオリティーとも実は関係していると思う。単に私が牡蛎好きであるというだけかもしれないが。写真は1人でも気軽に食べられるカウンターの最右席から牡蠣割り場。牡蠣とクラムが大量に消費されていく様を見ながら聞きなれない品種を覚える。今回はWianoが美味しかった。注文するとクラムチャウダーや牡蠣もファーストフードの様に早く出てくるが、ちゃんとタイミング良く全てベストな状態で出てくるところが憎い。夏までトライアスロンの様な日々だが安定した品質をキープしたい。

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2010 冬

2010年1月27日 Director's Chair

 機能美っていうのは多分この世で一番美しいと思う。
 ブランクーシ(神の領域に位置づけつれた彫刻家)とメイソンビル(マウイの伝説のシェーパー)の削り方の違いを語れる人はなかなかいないと思うし、世の中結構狭い中で満足しているフシがある。グローバルという言葉にだまされつつ、それを良いほうに考えないとならないような風潮もどうかと思う。うまいものはどこに行ってもうまいし、まずいものは名物でもまずい。昨年秋から(?)忙しくしていて、やっとの冬休みに入った3時間後にインフルエンザになり、正月を神妙に過ごすことになってしまい年明け5日には、遠慮なく図面が舞い込み今日に至っている。そんな中、ただ一つ、ほっとしたのは、この写真かも知れない。
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 横浜で開催中の束芋展の最後に登場する「BLOW」というインスタレーションのプロジェクターだ。4台使ってランページ状のスクリーンに投影して、その底を鑑賞者が歩く時にその人にも映像が写り込むが、その影で映像が途切れないという配置。写真はまだ調整前に撮ったスナップだが良い顔をしていると思う。天井に作られた間接照明の凹みを最大限に活用させていただいた。丹下さんにもお喜びいただけたかどうかは分らないが、建物との格闘を芸術への触発のひとつと考えられて作られた建築なのかも知れない。と思う。登攀が無理に見える氷壁に挑むクライマーと似ている。
 さて、最近各地の美術館で働くとまだ午前中なのに挨拶は知らない人からも「おつかれさまです。」と来る。これは最近の会社などでも同じで、まだ明らかに疲れていない時間帯から「お疲れさま」はないだろうと密かに思っている。少なくとも私が会社員をしていた80年代にはそんな会話というか、声のかけ方は無かった。仕事が終わって初めて「お疲れさま」と言いたいし、言ってもらいたいものだ。いつの間にか、「いたわり」「癒し」というチープな広告的イメージが先行した結果、とりあえず「お疲れさまです」と言っとけば、差し障りないだろうというマイナス思考だと思う。見ず知らずの人からでもHow are you doing?と声をかけられた方が随分積極的になれるのは間違いない。「お疲れさま」とナメ合うか、「どうしてんね」と高め合う違いは今後大きく文化を左右してしまうのではないかな。
 12月に横浜美術館の束芋展が立ち上がり、原美術館のヤン様、1月は森村新作の録音撮影、束芋の展覧会で東海岸縦走で、来月帰れば知らない間に決められていた試写会、そして3月はいよいよ写真美術館から森村展の巡回が始まる。美に至る病から15年。もう病のまっただ中を快走するランナーは今年59歳になる。最早アーティストとしての機能美の領域に入りつつある様に思えるこの頃だ。
 

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2009 秋の続き

2009年11月8日 Director's Chair

 2日連続で書くのは初めてだが、昨日書いた内容を寝ている時に思い返して、もう一つ思い出したことがある。私とビデオとの出会いも実はこの御前崎だった。
wind2.png
この写真は確か御前崎に通い出した頃に撮ってもらった一枚だったと思う。強風吹き荒れ誰も出ていない。3.2のセールでもオーバーで、アウトに出るのが精いっぱいだったような日だった。ま、それでも楽しいのだが。
 当時、80年代後半家庭用ビデオカメラとして8ミリビデオというものが出始めて、86年くらいからビデオでもウインド・サーフィンを撮ってもらうようになった。そして、最初は撮ってもらつてばっかりだったのだが、自分でも少し撮ってみたらそんなに難しくはない。ならば自分でもと思っていた頃にソニーから出た88というハンディーカムを購入した。その後パスポートサイズで世の中のビデオが一気に増えるのだが、丁度その頃に私もビデオ撮影を始めた訳だ。テレビでもMTVというものも流行っていて、私も友人のブルースバンドのプロモーションなどを作って遊んでいた。ちょっと話がそれてしまったが、御前崎に私の今の仕事のルーツがあったのかも知れない。
 この波間をボード・セイリングで滑るのをウエーブ・ライディングと当時は呼んでいたが、この写真で使っているマストが実は今回の森村作品にも登場している。そう、あの旗の棒だ。今回旗の棒は重要な役割をしていて、私はガレージに保管していたマウイで買った年代物のアンプロのツーピースマストを再び御前崎の海岸に持って行くとは思いもしなかったのだが・・・。人生には結構不思議なサイクルがあるのかも知れない。

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2009 秋

2009年11月8日 Director's Chair

 もう11月。夏から秋を感じている間もなく冬の気配のこの頃。
 今年は来月から束芋展が横浜美術館であって、来年春には森村展の巡回が始まる。忙しいと予測はしていたものの、夏以降やはり休日らしい休日はなくなってしまった。おまけに原美術館で12月の下旬オープンというヤン・フードンのお手伝いもすることになって、皿回しのような日々である。
 写真は御前崎ロケでの一コマ。もう既にはるか遠い日に感じるが、その後このロケで撮った素材を仮編集して10月に草月ホールで公開制作。舞台で慣れないトークやダメだしをしながら公開で素材を撮り終え、現在編集も峠を越えた。
 10月後半はオープンしたイズ・フォト・ミュージアムの開館記念の記録の制作。こんなところに文章を書いている暇はないだろ、と言われそうだが、今月末には設営のロードに出かけるので、ここで一息、御前崎を回想したい。
 今回、御前崎で撮影したのは森村泰昌の新作で、硫黄島に米軍が国旗を立てた有名な写真をモチーフにしている。この制作が決った初期の段階では5分程度の短い作品でこれまで作ってきた映像作品とそれほど規模が変わるものではなかったのだが、いろいろと氏の妄想は膨らみ現在20分を超えている。ちょっとした短編映画的なものであって、美術館の展示室で見せる映像作品という枠からも一歩抜け出したと思える。その作品を御前崎で撮ることになったのは、私がかつてボードセイリング(ウインド・サーフィン)というスポーツをほとんど職業のようにやっていて、週末は御前崎に通っていたために、作品に必要なシーンを撮れるという公算があったためだ。写真はその当時の私。同じ海で異なった事をメイクする。
wind.png
ただ20年ぶりに立った御前崎の浜は昔より狭くなっていて、期待していた浜岡砂丘も草が生えて砂自体が少なくなっていた。夕食で通ったお店のご主人の話でも、年々砂浜は狭くなっているそうだ。様々な開発の波がこんなところにも影響している。でもあの遠州灘のちょっと日本の海ではないような開けた感じが私は好きで、その雰囲気はまだまだ健在であった。低気圧の動きをにらみながら、美術作品を作るという感覚は、登山、ボードセイリングのレースでも感じられるものがあったし、私としてはボードセイリングで得た事を初めて現代美術に応用できたことが少し嬉しかった。この作品は来年3月の東京都写真美術館で初公開される。
 まずは皆様、12月11日、横浜美術館の束芋展へ。

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2009 夏

2009年7月10日 Director's Chair

 もう蝉も鳴き出しそうなくらい日中は暑い。
 4月は杉本さんの国立国際でのメイキング収録、大原美術館のインスタレーション、IZU PHOTO MUSEUMの建築現場を訪ねた後、金沢で森村作品のインストール。4月はその半分が撮影に終わった。5月は直島で杉本さんの取材、国立国際の展示収録、大山崎の聴竹居でで栗本夏樹展の収録、6月はベニスの新しい美術館、ポンタデラドガーナで新シリーズを展示している杉本さんのインタビュー、ビエンナーレのやなぎさんとウディチコの展示収録。その合間を縫って束芋の新作プランの機材調査や実験を行ない、来年の森村展の打合せなどを東京で。
 7月最初の仕事は、来年の渡航の予約のために10年目のパスポートの切替に。朝一番でドアが開くと同時に入って3番目だったので、手続は10分ほどで終了。印紙を買うところで聞いたが、繁忙期は最高5時間待ちとか・・。
 鶴橋で来年巡回する森村展に向けての打合せと、今後の作品の段取りのミーティング。そして鶴橋と言えば焼肉。2週目はやなぎさんの会場撮影と、来年の束芋展のプロシェクターテスト。京都芸術センターでラム・カツィールの設営・・。夏休みシーズンも間近になった。
ノルディカのディスプレー

 なかなか山へも行けてないのだが、先日ベニスの帰りにたまたま同じ船になったICI石井スポーツの店長さんに聞いたが、今すごい勢いで若い女性の間で登山ブームらしい。どこからそんなところに火がつくのか分らないが、そう言えば、前日トレーニングでたまに出かける大文字山でも真新しいトレッキングブーツを履いているのに普段の服装に近い女の子たちが来ていた。登山ブームは確かにあったが、中高年中心でどちらかと言えば、体育会系の高年齢の方が中心で、私などは「おにいちゃん」扱いである。そんな中に孫ほどの女子たちが新規参入なので、今後の展開が楽しみである。美術館、博物館人気の次はやはり登山か。
 現代美術と登山が結構近しいものであるという私の持論をなかなか理解してくれる人は少ないのだが、先日読んだ新田次郎の槍ケ岳開山に、こんな一節があった。

 「・・・・・登山と禅定とは同じようなものです。それは高い山に登って見れば自然に分って来ることです。なにかしら、自分というものが山の気の中に溶け込んでいって、自分が何であるのか、人間がなんであるのか、なぜ人間は死なねばならぬのか、そういうむずかしい問題さえ、自然に山の気が教えてくれるようにさえ、思われて来るのです。そのような境地は登山によって身を苦しめて得られるものではありません、登山はけっして苦行ではなく、それは悟りへの道程だと思います」

 主人公の槍ケ岳開山に至る播隆上人が、笠ケ岳を開山した後に、登山と宗教について旅先の村人に法話をする中での一部だが、宗教と美術を置き換えても私としては理にかなったものとして、この1820年代の風景を思い浮かべた。美術でもゴーギャンや杉本博司の海景のコンセプトにあるように、自分が何であるのかを知るための行為が、現代美術なのかも知れない。そして、それは人の心に強く語りかける。

(写真はベニスの空港にあったスキーブーツの老舗、ノルディカのディスプレー。水の都は実は山にも近く、古くから登山靴のメーカーがたくさんあるらしい。ICIの店長も来年のモデルの打ち合わせに来ていた。)

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2009 春

2009年4月5日 Director's Chair

 今回は久々にモントリオールだけの滞在で映画祭The 27th International Festival of Films on Artを過ごす。今年も来るかどうか迷っていたが、アスリートが国際試合に出かけて得るものが大きいように、海外の観客を前に自作を見たり、他の作品や参加している監督たちから得るものが大きい。言わば勉強のために2週間を費やし、強化合宿のようなものだが、現在の私の制作にこの映画祭で得たものが自覚しないところでも大きく影響して来たと思う。

2009fifa

 今年は賞の対象になっているコンペ部門と公式上映のパノラマではあまりその差を感じることができなかったが、審査員賞をもらったBORIS RYZHYは多様な映像言語とその描写力によって、ロシアで自殺した若い詩人について描く。彼の故郷を訪れてインタビューを繰り返すことによってロシアにおける若者の自殺ということを起点に現代の問題点を掘り下げている。これだけ暗く重いテーマについて、見る者を深く消沈させるほどの映像で語る。相変らず凄いサブジェクトとやっているこの監督のアリオナ自身にも興味をもった人も多いのではないかと思う。

 対照的に明るくほほ笑ましい作品にも良いものを見つけた。ニューヨークのアートシーンでは既に有名になったコレクター夫妻を描いたHERB AND DOROTHY。監督は日本人。作品はアメリカからの出品とされている。ジャッドやチャック・クローズの作品を駆け出しのころから購入し、彼らのアパートに貯まった目利きの作品群を高齢になったために、最後はナショナル・ギャラリーに寄贈するという何ともいい話。ニューヨークのアート界では誰もが知る彼らについて、クリスト夫妻は「私たちは忙しくてなかなか展覧会を見て回れないけれど、彼らと一度食事をするとニューヨークの一年間の出来事が一晩で理解できる」と語る。それほど熱心に見て回る彼らは決して上流階級のコレクターではなく、アメリカの普通の庶民。アパートに納まる作品は彼らの居住スペースに溢れる。この映像では彼らの行動やこれまでのコレクションを振り返り、彼らと親しいアーティストのインタビューなどで詳細に語られている。私の中ではこの作品が大賞でも良かったのだが・・・。

 その他に興味を持ったのは、ドバイのアート事情を追ったCULTIVATING THE DESERT、サムフランシスの生涯を描いたTHE PAINTER SAM FRANCIS、カルダーのドキュメンタリーCALDER, SCULPTEUR DE L'AIRは今までに見た昔の映像の引用が多くそれほど新しさを感じなかったがやはりカルダーは良かった。BBCのRICHARD SERRA: MAN OF STEELは、セラ自身の話などは面白いがBBCの脚色で出てくるいつものおじさんがちょっとつまらない。お宅探訪ではあるまいし。もうちょっと大人の演出が出来ないものか。WDRは相変らず飛んだ作品も出していて、そのタイトルもHITLER'S HIT PARADE。プロパガンダが映画によって如何に行われたかを当時の映像を淡々と繋いで見せる。解説などは一切無く、見るもののリテラシーを揺さぶる構成はさすが。日本ではこういう映像をテレビで流せる日は来ないだろうと確信する。

 今回の映画祭のポスターにもになっていたジョルジュ・ルースのアメリカでのプロジェクトをドキュメントしたBENDING SPACE: GEORGES ROUSSE AND THE DURHAM PROJECTは、実行委員会が作った感じのものだが、映像はなかなか凝った作りになっていた。ルースは相変らず黒いポロシャツと黒いジーパンでボランティアとコミニュケーションをとりながらの制作。モントリオールでも展覧会があったので知名度が高く、今回は上映と共にプロジェクトの報告会のようなものも開かれていた。

 その他にも書ききれないが、今回は39本見た。この質と量はやっぱりここでしかない。8回目のモントリオールは時期が10日後になったこともあって、本当に暖かだった。MORIMURA C-0の上映もCINDY SHERMANと同じ枠の上映だったためか150人くらい入る現代美術館のホールほぼ満席。夜9時からという上映でも大勢集まるのは、嬉しいを通り越して、羨ましい。

 出発前に風邪を引いてそれを引きづりながら来て、しかもラゲージのミスハンドルで2日も荷物が届かなかったところから始まった滞在は、12年前に初めてこの映画祭に参加したときにボランティアをされていて、それ以来御世話になっているKさんや、常連さんたちのおかげて徐々に充実したものになった。来年は3月18日から開催らしい。



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2009 冬

2009年2月10日 Director's Chair

 ストックホルム近代美術館、Moderna Mussetのロゴはラウシェンバーグの手書きの文字がそのまロゴとして使われている。それは作家に対する敬意の現れだと思う。

 昨年11月頃から毎日ように続くメールの打合せにまったく懲りずに問題点、疑問点を次々に返してきてくれたストックホルム近代美術館の技術課のオフィースは運河に停泊する舟などが見渡せる景色が広がる窓を持つ。(写真)

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 この美術館はヨーロッパを代表すると言っても良いくらい洗練された運営をしていると思う。その一つがこの技術部門だ。ヨーロッパの大きな美術館では当たり前の話しなのかも知れないが、常任で映像、音響、照明、内装など12名のテクニシャンがいる。

 確かな技術をもって冷静に美しく仕事をする彼らは百戦錬磨を感じさす余裕さえある。インスタレーションに関しては、作家も最善を尽くしているのだが、またそれに応えるべく作家の予想以上の準備と設置を美術館としてそれに応えた時、いままでにない展示が完成することを彼らはよく知っている。

 ヨーロッパでもトップクラスだと思える常設展ではカルダーの電気仕掛けの大きなオブジェが動いていた。楽器のような音が出る大掛かりな装置だが、しっかりとメンテナンスされて普通に動いていた事には驚かされた。

 もう現代の美術館には技術部門は必用不可欠な時代になっているが、日本でそういう人材を確保している美術館ほとんどなく、勿論そういう部署が日本の美術館にあることは無い。技術関係の人材のいる美術館でも1名程度の担当者がいるという貧弱な状況であることはあまり知られていない。いかに有能なキュレーターがいても、それを実際の展示に生かすには、実際に現場で作業をする人材が如何に重要であるかは、数値などでは計り知れない部分だ。美術館外の業者に頼らざる得ない現状では入札制度などのために毎回違った人との仕事になって、なかなか専門的な人材も育たない。美術と技術、そして美術館を理解してそれを発揮できる人材の育成が急務だと思う。


 また今回束芋のインスタレーション作品がこの美術館のコレクションに加わったが、そのために作家に対してのビデオインタビューがあった。それは作品の内容に対することだけでなく、使っている機材、壁紙や床面の素材や色など細かな事を遠い将来にも再現できるように作家の希望する品質のニュアンスを作家の肉声として残すのだ。私もテクニカルの担当としてインタビューに答えた。

 未来に残す作品として、作家の意向をできるかぎり反映して展示するという基本的な事に対する努力を惜しまない姿に感銘を受けた。

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