oimo 制作記

                                 岸本 康


ベルギー制作風景

 束芋の作品の中に描かれている日常に起こるかもしれない不気味とも言える状況にも似た事件が、このところ絶えない。通り魔、監禁、強盗、窃盗。種類も豊富なら内容も複雑怪奇で、おまけに犯人も逃走してしまうケースが後を絶たない。
 インターネットやハイテクは、本来、人に時間やゆとりを生むはずのものだ。しかし、現状はどうだろう。便利になった代償として、本来の人とのコミニュケーションも奪ってしまいつつあるのではないか。特に電子メールや携帯電話は、一見コミニュケーションツールなのだが、現実はちょっとした孤立感をはぐらかす道具としての依存度が高いのではないだろうか。


「焼き芋」を例にあげよう。
 どこの街にもお芋屋さんというのがあった。勿論、専門店もあるが、八百屋さんが御芋を焼いているところもあったと思う。「焼き芋、5つ。」「今2つしかあらへんわ。次のはまだ、ちょっと焼けてへんから待ってて。」「何分くらい。」「そやな、あと5分くらいかな。」「今日は寒いからよう売れてナぁ。」「こんにちは。」「お芋2つ。」「おばちゃん2つやし、先にあげてかまへんか。」「ええよ。」「おおきに。」
 街での当たり前の会話だった。今回のタイトルはここから来ている。
 単に束芋の芋と引っかけたわけでもあるが、私の幼少期のニックネームでもあった。冒頭と最後には御芋屋さんのシーンを入れた。

 
 先日、マイケル・ムーアの痛快なドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」を見た。監督はアメリカでの銃による死亡者が年間1万人を越え、日本の37人、カナダの165人と比較にならないほどの数に頭を悩ませる。これを見ると日本はとても安全で、銃では死なないかも知れない。だが、日本の自殺者はアメリカの銃による死亡者の倍以上、3倍にまで達する勢いだ。
 これにはインターネットや携帯電話も関係が無い事は否定が出来ない。欧米でも携帯電話は小型化されたが、電子メールの端末として使う人は少ない。
 日々の生活の中で自然と育まれるはずだった心のゆとりや、知らずして癒されるコミニュケーションの場面が日常から消えて来ている事を、もう少し時間をかけて考えなければならない気がしてくる。
 束芋の作品にはそんな現代の社会へ対しての警告が包まれている。
 おそらく束芋の人気はこのようなところから来ているのではないだろうか。現代社会で誰もが感じながらも形にしなかったもの
  
 ある日、束芋の展覧会へ行った人からメッセージが届いた。「日本から彼女のような人が出てくれるのを、ひょっとしたら私は待っていたのかもしれません。」と。私も初めて彼女の作品を見た時に同じようなことを思った。そしてその時から彼女の活動を記録することにした。あっと言う間に国外からも多くの展覧会に誘われるようになり、26歳で大学教授。彼女のこの5年間は目まぐるしい日々だったに違いない。
 一貫して変わっていないのは、彼女の制作スタイルだ。丁寧に描かれた彼女の原画はコンピューターで動画に仕上げられるが、通常は見えない部分のディテールや色彩にまでこだわり、画面に魂を持たせるべく作り込む。
 今回のドキュメンタリー「oimo」では、彼女のそんな近況のほんの一部分がお伝えできればと思う。
 
  
  2003.6      岸本 康  ディレクター

oimo tabaimo -2003-

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